先日サントリー美術館で開催されている「虫めづる日本の人々」という展覧会に行ってきました。
古くから日本美術では虫を重要なモチーフとして、現代において昆虫と分類されるものだけでなく、蜘蛛、蛙、蛇などのうごめく小さな生き物たちも虫として親しみ、物語や和歌、様々な美術作品に描かれてきました。特に鈴虫や蛍は愛好され、源氏物語や伊勢物語などからもその様子が伝わってきます。
また草花や虫を描き吉祥を表す草虫図が中国からもたらされ、中世から長く日本で珍重されました。
江戸時代に入ってからは、本草学(薬用とする植物、動物、鉱物の形態、産地、効能を研究する学問)の進展と博物学的な精神の萌えによって、多彩な虫の絵が生み出されます。更に虫聴きや蛍狩りが娯楽として市井の人々に広まったのもこの時代です。この文化は、近代、現代においても受け継がれました。
日本の虫めづる文化は長きに渡って育まれてきましたが、大衆文化が進んだ江戸時代を一つのピークとすることができます。
と展覧会の紹介文があり、上半身は蛙やトンボで下半身は人間の姿をして着物をきた従者たちの絵から展示が始まります。
細かい描写の正確なものであったり、愛嬌のある表情をしたもの、美しい色彩のものが展示され、どれも興味深く観ることができました。
その中で興味をひいたのが、堤中納言物語にある「虫愛づる姫君」を題材にした絵なのですが、絵よりも解説に考えさせられました。
虫が大好きな姫君は、「人々は見た目の美しいことを好む。蝶が美しいともてはやすけれど毛虫は嫌がる、蝶は毛虫が成長した姿なのに・・・・」と。
これを読んで昔の人もこういう考え方をする人がいたのか、現代でも通用する考え方だととても共感しました。物事の最初と終わりの関係、また外見だけの判断は正しいのか、と問いかけているように思いました。
昔と今の生活を比べると、おおざっぱに言ってしまうと身の周りにある物質的な環境が違うだけで、人の考え方や心情は何年経っても変わらないのではないでしょうか。ならば昔の人の言葉から、私たちは学べることがたくさんあるのではないか、「温故知新」という言葉があるように、新しいものを追い求める中に日本の古いものに触れてみることが、これからの役に立つものを発見できる一助になるかもしれません。
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