私は小学生の頃、油絵を習っていてたのですが当時の作品は無くなってしまい、唯一模写をしたゴッホの「オーヴェルの教会」の作品だけは今でも手元に残っています。当時は額も絵画教室の先生から勧められ購入し額に納まっていた絵なのですが。
先日長女とローマとパリに旅行に行ってきました。海外旅行は子供の生まれる前に行ったきりでしたの25年ぶりぐらいになります。久しぶりだったのでツアーがよかったのですが手配できず、飛行機の往復とホテルの手配だけをしてもらう個人旅行となりました。
いろいろと行先を調べるうちに、ゴッホの終焉の地でありこの教会があるオーヴェル・シュル・オワーズがパリから電車で1時間ほどの所にあることがわかり、行ってみることにしました。
ちょうどシーズンオフ(ゴッホの下宿等は4月から10月の開催期間、私が訪れたのは11月)でもあったので、ひっそりとした静かな街の雰囲気でしたが、教会やゴッホが写生した場所、ゴッホと弟のテオが並んで眠るお墓、1つ開いていた美術館等を巡るうちにゴッホについて思いを馳せました。
子供のころは癇癪もちだったそうで、青年になり画商に就職するのですがなかなか仕事がうまくいかず、その後聖職者の道を選ぶのですがそれもうまくいかず、この時期周りの人や風景をスケッチしているうちに本格的に絵を描くことを決めたようです。そしてこの頃から弟テオからの援助が始まりました。
いろいろなことに手をだし自分を模索している姿が、ちょうど行きの飛行機の中で「銀河鉄道の父」という宮沢健治の映画を見ていて、健治もいろいろなことに手を出しながら作家としての作品を生み出す様が非常に重なりました。
人づきあいのうまくないゴッホは、親しくなった人とも決別を繰り返しテオとも不仲になったこともありましたが、絵に関しては自分のこだわりを通し、当初世間には認められないものでしたが独学での勉強で徐々に画風が安定していきます。単色での塗り重ねる手法を独自のものとし、その明るめの色彩は後世日本人をも魅了していきます。
一時期ゴッホは浮世絵に興味が湧き画集を買い集め、模倣した作品も残しています。
精神的に病み発作を繰り返しながら、最後は37歳の若さでピストル自殺したとされています。
傷跡の角度から他殺の可能性もあるのですが、現場を見た人はいないそうで、どちらとも言いかねません。
後世これだけ有名な画家の地位を築くことになったゴッホの人生を「生きている間は1枚しか売れなかった画家」と単純に言い切ることもできず、悩み苦しみながら、自分勝手であり、人に優しく、寂しがり屋であり、自分のやりたいことを追い続け画家となり、絵を描くことにそれだけに没頭した人生であったのではないでしょうか。絵を描いているその時は何も考えず、無心で筆を動かし、静けさの中にある息遣いが聞こえてきそうな気がします。
絵を鑑賞する時、絵からくる印象と今回のように作家の人生をも少し理解したうえでの印象はまた違ったものになりますが、どんな思いで描いていたのだろう、と考えることで私たちは人生を歩んでいく手がかりを見つける助けになるのではないでしょうか。
ファン・ゴッホから人生について、仕事について学びました。
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