前回ローマとパリに旅行したことを書きましたが、家に帰ってみると観葉植物が枯れていました。家族に水をやってほしいとお願いしておかなかったので、仕方ありませんが見た時はとても残念でした。
それでも、「もしかしたら水をやればまた芽がでてくるかもしれない」とお詫びの気持ちも込めて何回か水をあげていましたがその成果なくそのままでした。
そのうち水をやることもなく私の中では諦めていましたが、先日ふと覗いてみると、なんと小さな芽がでているではありませんか!
水をやらなくなって1か月以上は経つのに、まして家の中は加湿器も使ってなく乾燥した状態であったのに、芽が出てくるなんてとても信じられませんでした。
そしてふと思いました。人間の勝手な欲とは関係なしに植物は植物として生きるんだなぁ、と。
人間が管理している、所有しているものは人間がいかようにもできると思い込んでいるのではないか。
「勝手に水をあげなくなって枯らせてしまったものを、今度は水をやればいきかえるのではないか、と人間のエゴに付き合うほど単純ではない、自分は自分で生きるんだ」というささやきが聞こえてきそうでした。
とかく自分でお世話をしているものを、物であれ子供であれ、相手のためだとか自分に責任があると自分勝手なエゴを押し付けているのではないだろうかと考えがよぎった次第です。
客観的に距離を置いて子供や物事に接していきたいものです。
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