前回江戸時代の教育方法として、まず人間としての基本を身に付けておけば充実した人生が送れるようになります、つまり人格から形成することです。そのはじめとして、親は「慈愛」と「義愛」を引っ張り出す。つまり「慈愛」は無償の愛、「義愛」は人としての道理、を意識して注ぎ込む、そうすると子供もこの感じいいなあ、と思うようになって段々と心の中に秩序が形成されてくるのです、とご紹介しました。
この続きとして、3歳ぐらいから素読を始めます。100字100回。何を読むかというと儒教の経典である四書五経です。四書は「大学」「中庸」「論語」「孟子」、五経は「詩経」「書経」「礼記」「易経」「春秋」のことを言います。
「論語」をはじめとするこの四書を1日100字ずつ100回読んでいきます。意味がわからなくてもいい、とにかく覚えさせるのです。四書を合わせると約52,000字。1日100字100回読むと大体2年くらいで全部頭に入ることになります。
そうすると寺子屋に行って「今日は「大学」をやりますよ」と言われれば教科書がなくてもそらんじることができるのです。でも言えるけど意味はわからない。先生がその意味を説明すると、自分の知っていることの凄さに感動するのです。「私はそんな凄いことを知っていたんだ!」と。自分が覚えていたことはこんな素晴らしいことだったのか、と感動する教育なんですね。なので明日は何をやるのだろうと期待に胸を膨らませて寺子屋に行くので、寺子屋に行くのが楽しみになります。それも、単に新しいことを知るわけではなく、人生の要諦を知るのです。
また教育というと「学校教育」しかないと思いがちですが、本当に重要なのは「家庭教育」と「地域教育」なのです。徳の根本に親を敬愛する「孝」があります。孝行のあり方がたくさん語られている「孝経」という本の子供版がありそういう本を読んだり、食卓の会話に四書五経に関るものが話題に上がったり、家庭での教育が知らず知らずなされています。それから地域に暮らしている隠居した人が、朝8時くらいから子供を集めて1時間くらい素読を指導してくれるのが当たり前でした。
このように家庭教育と地域教育があって、6歳になったら寺子屋に通うようになり学校教育が加わるのです。
今回は、素読のこと、家庭教育、地域教育についてご紹介しました。学校教育が始まる前に人格という土台作りの時期が江戸時代にはあったのですね。
余談ですが、私の子供も幼児教室に通っていたことがあり、プログラムの1つに古典と漢文の暗唱の課題がありました。一週間に大体1ページを覚えて発表するのですが、毎朝保育園に通う道すがら私が読んだのを繰り返し声に出して言わせていました。なのでもう15年くらい前のことですが、私も思い出すことができます。
コメント