vol.20 江戸時代の教育方法とは -3

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前回は素読、家庭教育、地域教育についてご紹介しました。今回はいよいよ寺子屋でのお話です。

なんとなく寺子屋ではみんな同じことを同じペースでやるのでは、と思っていたのですが、そうではなく、「〇〇ちゃんは今日はここから」「△△ちゃんは今日はここから」というようにその子のペースにあった取り組みだったようです。それぞれの個性が認められていて先に進みたい子は先へ進み、のんびりした子はのんびりと進んでいました。

寺子屋のテキストに「小学」という書物があります。儒学者の朱子が子供に読んでもらうために中国古典の四書を子供用に編集したものです。その巻頭に子供に身に付けさせるべき大事な力として、「灑掃(さいそう)」「応対」「進退」という3つの教えが載っています。

「灑掃(さいそう)」

掃除のことです。つまり整理整頓能力が身に付くということで、頭のいい人の話は実に整理整頓されている。それをまず文房具や遊び道具がごちゃごちゃになっている状態を分類して、物理的にやらせていくと頭脳の整理整頓ができるようになるのです。大人になって何か問題が起こってもそれを整理することで問題解決につながっていきます。

掃除をするとすがすがしい気持ちになります。すがすがしいところとは聖なるところ、大切にするべきところで、そういうところをきれいにしておかないといけないことがわかるようになれば、秩序を形成していけます。

そして一生懸命掃除をしたところには愛着が生まれます。愛着心が生まれるといろいろなものに愛情を持てる人間になるのです。つまり人間性が備わります。

「応対」

応対の最初は挨拶、返事です。これは家庭内で要点について教わります。また書く訓練として江戸時代には上手な手紙を書き写させたのです。手紙の例文として300から400種類あるものを書き写していくと、例えば「昨日は鯛を一尾申し受け候」と書けば、鯛は一匹ではなく一尾ということもわかります。

「進退」

「進」と「退」は非常に重要なペアです。進退論がわかってくると世の中の秩序とかが見えてきます。例えば母親が子供に「ご飯よ」と呼んでも遊びに夢中になって来ないとします、2回目を呼ぶ、来ない、3回目を呼ばれて行ってみるとご飯がきれいに片づけられている。そうると子供は3回じゃだめなんだ、では2回で行かなくちゃ、と行ってみると半分片づけられている。そうか呼ばれたら1回で行かないといけないんだと学びます。

これが友達と一緒に遊んでいる場合はどうなるでしょう。途中で自分が抜けるとその遊びが成り立たなくなってしまうので、うまく抜けるコツが必要になるのです、「明日の朝やらない?」とか、皆を穏便に説得する断り方を考えなくてはなりません。

また始める時に途中で抜けることがわかっていたら最初に言っておいたほうがいいな、とか始めるコツがわかってきます。そうやって始めれば自分が途中で抜けることを気にせず遊びに集中できます。

「清掃、応対、進退」この3つは互いに関連しあっていて、これだけでも立派な人間になる要素だと思います。

連続で江戸時代の教育についてご紹介してきましたが、まずは人格の形成、人間としての土台をつくることによって、技術を学んでも習得が早く、またこれからどこで生きていこうがちゃんと生きていけるということでした。どれも人との関わり合いをどうしていくかという、同じ社会で生きていく人としての心得を誰もが持ち合わせ、個人の中に軸となるものがしっかりとつくられていたように思いました。

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